貧困化した人をどう評価するか
2018/05/07(Mon)
ネットの記事を見ると日本社会の貧困化が取り上げられていますね。
わたしはあまり真に受けてはいませんが、それについて思うことを書きます。

その貧困化してしまった人にインタビューをすると
「人生途中までは順調だったけど、その後、思いもよらぬことが起きて転げ落ちるように貧困に陥り今に至る」
というケースが多いです。
その思いもよらぬことの代表例が病気、リストラ、離婚。

これらのことって若い時から十分想定内のはずで、どうして若い時から貯金をしておくとか事前に手を打たなかったのか?
記事を見た人の中には『バカだなぁ』と思う人もいるかもしれません。

しかし本当のところはどうなのでしょうか?
本当にその人たちはバカなのか?

その貧困化した人というのは、想定できるリスクなどお構いなしに若い時から貯金などせず全力で遊んできた人たちです。
その後、人生後半にそのリスクが現実化したとしても、その時はその時で生活保護など社会の手厚いセーフティネットがあることを彼らは知っています。

そう。人生を前倒しで謳歌してきたうえに、人生後半も健康で文化的な生活は保障される。つまり、考え方によっては負けなしの人生なのです。
前半勝ち、後半引き分けの言ってみれば1勝1分。

一方、若い時から真面目に働き遊ぶこともせず、少ない給料をコツコツ貯めてきた人というのも前者と同様、想定外のことでお金を失ってしまうことがあります。
将来に向け慎ましい生活をしてきた人はその結果、人生前半は苦労し、後半も報われないということになります。
言ってみれば1敗1分。

さて成功者はどっちなのでしょうか?
もしリスクが現実化してしまうという前提であれば、前者の方が正しい選択になる場合もあります。

人生の後半に不安なく生活を送ることができる というのが理想と考えられがちですが、人生のどのタイミングで楽しむかというのは本来自分自身が主体的に決めること。
若いうちにその判断をして、楽しめる時に楽しんでおいたその人は決してバカではないのかもしれません。



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帰属意識は一部捨てる
2018/03/26(Mon)
春のセンバツ高校野球が始まりましたね。
高校野球など自分の地元のチームが出場する試合では、当然地元のチームを応援しますよね。
これは郷土愛というか帰属意識から来るものでしょう。
人は何かに所属していたいという社会的欲求があるわけで、そうなるのは自然なことです。

国だってそう。
普段、愛国心いっぱいで生活しているか、といえばそんなことはないのに、オリンピックやワールドカップなどのように国vs国になると熱狂的に自国を応援する。普段、行政の不満でストレスが溜まりまくって「ニッポンしね」とか言っている人でも、オリンピックで他国と対戦したら日本を応援するでしょう。

スポーツ観戦ならその理由で応援すればいいでしょう。

しかし、この帰属意識はスポーツ観戦にとどまらず、それぞれの生き方にも影響を及ぼします。これが注意すべきことだと思っています。

多くの人は学校なり会社なりに所属して生きることが安心につながるということを小さい頃に叩きこまれます。
だから学校にも行かず、働くこともしない肩書のない人はダメ人間扱いをされます。生き方の多様化と叫ばれてはいますが、それは掛け声だけです。
それぞれの人がそれぞれの人生プランがあって、真面目にその道を歩んでいても肩書がないとダメという社会。
残念ながら、これが今の日本社会の価値観です。

生き方 < 居場所

ということ。

どっちに重きを置くかはその人の自由ですが帰属意識に完全に支配されるようでは、がんじがらめの面白くない人生を送ることになります。なくてもいいのに備わっている人間の欲求は、意識して捨てた方がいい と思います。




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リタイア志望者は怠け者か?
2018/01/20(Sat)
早期リタイアの希望を口にすると周囲の人の反応はどうでしょうか?人により反応は様々だと思いますがやはりネガティブな反応が多いと思います。
そのネガティブな意見の多くは働かずに遊んで暮らす、言い換えれば怠け者に対しての批判からくるもの。
リタイア志望者が怠け者?
本当にそうでしょうか?

わたしは逆だと考えています。
それは今営んでいる生活からも見て取れます。

会社での昼食を例にとります。
毎日、少し朝早く起きてお弁当を作って持っていく人がいると思えば、早起きしたくないという理由でギリギリまで寝ていて その結果、外食したりコンビニ弁当を買ったりする人がいます。

後者は自分が面倒くさいことをしたくないという理由で毎日カネを払って他人に面倒なことを委託しているのです。怠け者とは言ったらかわいそうかもしれませんが、今の生活の一部を“遊んで”いると言えます。

若い時から 遊ぶ=贅沢 していれば定年まで働かなければならないのは当然。
生活レベルなんて上げ始めたらキリがないのです。「年収1000万円だけど生活は楽じゃない」とか言っている人がマネー雑誌の家計診断で出てきますよね。それがまさにそれ。

リタイア志望者は今は遊ぶことをせず、将来の目標を見据え今何をすべきかを考え実行しているのです。
将来に向け計画的に生きている人の方が刹那的に散財している人よりも怠け者なはずがありません。

日本人は勤勉な国民性と言われますが、リタイア志望者こそ本当の意味で勤勉な国民の代表といえると思います。



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消去法で正解を出す
2018/01/15(Mon)
わたしは今年4回目の年男です。次の年男になる時はなんと「還暦」ということでいろいろと考えることもあるわけで。。

わたしはずいぶん昔から早期リタイアの希望を持っていますが、その早期リタイアというライフスタイルが自分にとって正しいことであることを証明するために、それとは真逆の自分が望まない仮説を立てそれが正しくないことを証明することで自分の考えが正しいことの裏付けをとることがあります。
つまり消去法により自分がなりたくない将来像を消していくことで最適解を追求していくという考え方です、ハイ。

例えばこんな感じ。
具体的に自分が絶対なりたくない将来像とは「定年(60歳)まで働き続ける」ことです。

60歳まで働き続けたことを想像するとどうか。
仕事で身も心もくたくたになって健康状態は悪化。気力、体力が衰えるうえに趣味に対しても意欲は薄れているでしょう。
これは間違いありません。いまでもそれに近づいていることを実感できるレベルですから。
自分が楽しいと思える趣味を楽しいと思えないなら何を楽しみに生きているのでしょうかね。

経済的にはどうか?
このまま生活するとざっと計算して60歳時点での純金融資産は1億5千万円くらい。
その後、20年生きるとすると使えるカネは単純に年間750万円。年金がゼロと仮定してこの数字です。
750万円ってひと月に60万円以上毎月使いきる計算になります。消費初心者のわたしにとってこれは拷問w
なんで身も心もクタクタになって、その後拷問みたいな生活をしなければいけないのでしょうか?

そんな将来は絶対ムリ。
こんな感じでこの仮説は却下、不採用となります。

人によっては子供の成長や結婚が楽しみだとかそういう人もいるので10年、20年先を目標にという人もいるでしょうけど、わたしにはそんな楽しみはないので自分以外の人に楽しみを見つけるのではなくて自分自身の楽しみに集中します。
こんな感じで自分の正解を裏付けていくのも方法論としてはありだと思います。




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自分が主役になればいい
2017/12/15(Fri)
自己中心的な人のことを「あの人は自分中心に世界が回っている」と陰口を言ったりすることがあります。
周囲に迷惑を掛けまくっている人は確かに近くに来てほしくないのですが、かといって自分がそんな人と思われたくないために遠慮しすぎるのも良くないと思っています。
精神的に病んでしまう人や自殺してしまう人はそんな遠慮がちで真面目な性格が結果的に自分を追い込んでいる気がします。

それはもったいない。
ぶっちゃけ自分の人生を生きているのであって、自分が主役であるのはある意味当たり前。
言い方は悪いけど、学校も会社もモノもカネも場合によっては周囲の人も自分にとっては道具のひとつという考え方でちょうどいいと思います。
(もちろん人に対しては相手を尊重する気持ちは持つべき)

ひとつの例として自分と会社との関係について思うことを書きます。
たまに愛社精神が旺盛で会社のためなら命すら投げ出せるというくらいの勢いの人がいたりします。
たしかに会社は会社の成長とともに社員の給料など待遇を良くします。そう考えると自分と会社の関係は密なものであり会社への帰属意識は高まり会社への感謝の気持ちが出て当然かもしれません。

しかしここで間違えてはいけません。

感謝の気持ちには限度があるということ。

会社のためなら何でも奉仕するということにはなりません。
仕事をするというのは情でしているわけではなく会社と個人の契約に基づいてしていること。そこはドライに線を引くべきだと思います。
つまり両者が相互に依存し過ぎないという考えを持ち続けることは大事だしそうあるべきだと思います。
その考えがあれば会社でのストレスに疲れきって自殺するとかにつながらないと思います。

契約は両者の合意に基づいて結ばれるわけでその前提が崩れたら契約に至らないのは当然であり自分は“道具を交換”すればいいのです。

会社に限ったことではないのですが、この世の自分以外のものは自分がしあわせに暮らすための道具と位置付けるくらいでちょうどいいのであって、間違っても主役の自分がダメになってしまわないように気をつけてほしいと思います。



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