リタイア志望者は怠け者か?
2018/01/20(Sat)
早期リタイアの希望を口にすると周囲の人の反応はどうでしょうか?人により反応は様々だと思いますがやはりネガティブな反応が多いと思います。
そのネガティブな意見の多くは働かずに遊んで暮らす、言い換えれば怠け者に対しての批判からくるもの。
リタイア志望者が怠け者?
本当にそうでしょうか?

わたしは逆だと考えています。
それは今営んでいる生活からも見て取れます。

会社での昼食を例にとります。
毎日、少し朝早く起きてお弁当を作って持っていく人がいると思えば、早起きしたくないという理由でギリギリまで寝ていて その結果、外食したりコンビニ弁当を買ったりする人がいます。

後者は自分が面倒くさいことをしたくないという理由で毎日カネを払って他人に面倒なことを委託しているのです。怠け者とは言ったらかわいそうかもしれませんが、今の生活の一部を“遊んで”いると言えます。

若い時から 遊ぶ=贅沢 していれば定年まで働かなければならないのは当然。
生活レベルなんて上げ始めたらキリがないのです。「年収1000万円だけど生活は楽じゃない」とか言っている人がマネー雑誌の家計診断で出てきますよね。それがまさにそれ。

リタイア志望者は今は遊ぶことをせず、将来の目標を見据え今何をすべきかを考え実行しているのです。
将来に向け計画的に生きている人の方が刹那的に散財している人よりも怠け者なはずがありません。

日本人は勤勉な国民性と言われますが、リタイア志望者こそ本当の意味で勤勉な国民の代表といえると思います。



この記事のURL | 常識・非常識 | CM(2) | TB(0) | ▲ top
消去法で正解を出す
2018/01/15(Mon)
わたしは今年4回目の年男です。次の年男になる時はなんと「還暦」ということでいろいろと考えることもあるわけで。。

わたしはずいぶん昔から早期リタイアの希望を持っていますが、その早期リタイアというライフスタイルが自分にとって正しいことであることを証明するために、それとは真逆の自分が望まない仮説を立てそれが正しくないことを証明することで自分の考えが正しいことの裏付けをとることがあります。
つまり消去法により自分がなりたくない将来像を消していくことで最適解を追求していくという考え方です、ハイ。

例えばこんな感じ。
具体的に自分が絶対なりたくない将来像とは「定年(60歳)まで働き続ける」ことです。

60歳まで働き続けたことを想像するとどうか。
仕事で身も心もくたくたになって健康状態は悪化。気力、体力が衰えるうえに趣味に対しても意欲は薄れているでしょう。
これは間違いありません。いまでもそれに近づいていることを実感できるレベルですから。
自分が楽しいと思える趣味を楽しいと思えないなら何を楽しみに生きているのでしょうかね。

経済的にはどうか?
このまま生活するとざっと計算して60歳時点での純金融資産は1億5千万円くらい。
その後、20年生きるとすると使えるカネは単純に年間750万円。年金がゼロと仮定してこの数字です。
750万円ってひと月に60万円以上毎月使いきる計算になります。消費初心者のわたしにとってこれは拷問w
なんで身も心もクタクタになって、その後拷問みたいな生活をしなければいけないのでしょうか?

そんな将来は絶対ムリ。
こんな感じでこの仮説は却下、不採用となります。

人によっては子供の成長や結婚が楽しみだとかそういう人もいるので10年、20年先を目標にという人もいるでしょうけど、わたしにはそんな楽しみはないので自分以外の人に楽しみを見つけるのではなくて自分自身の楽しみに集中します。
こんな感じで自分の正解を裏付けていくのも方法論としてはありだと思います。




この記事のURL | 常識・非常識 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自分が主役になればいい
2017/12/15(Fri)
自己中心的な人のことを「あの人は自分中心に世界が回っている」と陰口を言ったりすることがあります。
周囲に迷惑を掛けまくっている人は確かに近くに来てほしくないのですが、かといって自分がそんな人と思われたくないために遠慮しすぎるのも良くないと思っています。
精神的に病んでしまう人や自殺してしまう人はそんな遠慮がちで真面目な性格が結果的に自分を追い込んでいる気がします。

それはもったいない。
ぶっちゃけ自分の人生を生きているのであって、自分が主役であるのはある意味当たり前。
言い方は悪いけど、学校も会社もモノもカネも場合によっては周囲の人も自分にとっては道具のひとつという考え方でちょうどいいと思います。
(もちろん人に対しては相手を尊重する気持ちは持つべき)

ひとつの例として自分と会社との関係について思うことを書きます。
たまに愛社精神が旺盛で会社のためなら命すら投げ出せるというくらいの勢いの人がいたりします。
たしかに会社は会社の成長とともに社員の給料など待遇を良くします。そう考えると自分と会社の関係は密なものであり会社への帰属意識は高まり会社への感謝の気持ちが出て当然かもしれません。

しかしここで間違えてはいけません。

感謝の気持ちには限度があるということ。

会社のためなら何でも奉仕するということにはなりません。
仕事をするというのは情でしているわけではなく会社と個人の契約に基づいてしていること。そこはドライに線を引くべきだと思います。
つまり両者が相互に依存し過ぎないという考えを持ち続けることは大事だしそうあるべきだと思います。
その考えがあれば会社でのストレスに疲れきって自殺するとかにつながらないと思います。

契約は両者の合意に基づいて結ばれるわけでその前提が崩れたら契約に至らないのは当然であり自分は“道具を交換”すればいいのです。

会社に限ったことではないのですが、この世の自分以外のものは自分がしあわせに暮らすための道具と位置付けるくらいでちょうどいいのであって、間違っても主役の自分がダメになってしまわないように気をつけてほしいと思います。



この記事のURL | 常識・非常識 | CM(4) | TB(0) | ▲ top
社会的地位っている?
2017/10/28(Sat)
三越伊勢丹のリストラ策が話題になっていますね。
48歳~50歳の部長級社員には退職金を最大5000万円積み増して支払うというもの。それにより7000万円ほどの退職金が支給されるとのことです。
この額だと税金で1000万円くらいは持っていかれるでしょうが、それでも手取りは6000万円。

仮に定年まで勤めてもあと10年で税引き前の給与収入としては1億円ちょっと。税引き後は7000万円。
これに定年時の退職金を足して手取りは1億円ちょっとといったところ。

50歳退職で6000万円 vs 60歳退職で1億円

今、三越伊勢丹の社員はこのふたつのどっちをとるかという選択に迫られているんだと思います。わたしも年齢が近いので関心を持って見ているのですがどれくらいの割合の人が早期退職に応じるのでしょうか?

カネと人生の残り時間を天秤にかけて合理的に考えると早期退職をするという結論に達するとわたしは思うのですが、そのカネと時間だけの問題ではないのでしょう・・・常識人にとっては。

じゃあ何の問題なのか?

それは

世間からの評価=社会的地位

の問題です。
生活に困らないだけのカネ、そして時間を手にしたとしても一流会社の管理職であった人が、周囲から「リストラされた人」という評価を受けることに堪えられないのです。そう、他人の目が気になって仕方がないのです。

わたしはいつもこのように労働に対して後ろ向きなことを書いていますが、これでも一応 東証一部上場企業の管理職をしています。周囲の常識人からすればちょっとした成功者かもしれません。
しかしそれは他人の評価に過ぎません。自分の評価とは違います。

わたしも承認欲求がゼロかというとそうでもないかもしれませんが、一般人よりは低いのは確かです。安心して早期リタイアできる環境が整えばこんな社会的地位なんてどうでもいい。自分の評価が低いのに他人の評価が高くてもしょうがないんです。
わたしが今、本当に欲しいのは自由な時間。そのためにいま現在その資金を積み上げているわけで、三越伊勢丹のように破格の退職金が手に入れば何も迷うことはありません。自分に正直に、名より実をとりたいと思います。



この記事のURL | 常識・非常識 | CM(6) | TB(0) | ▲ top
義理=カネは美しい文化か?
2017/04/22(Sat)
きのうNHKのドキュメント72時間で都会の葬式をテーマに取り上げていました。
わたしの感想は葬式も年々シンプルになって合理的になってきているということ。

そうは言っても葬式代の全国平均は200万円とのことで、これはカネをかけすぎ。
これは亡くなった人に対してこれぐらい豪華に(?)送りださないと失礼ということなのでしょうか?
亡くなった人への想いというより遺族に対して格好をつけるということであれば、ここでも見栄というものが透けて見えます。
ブランドもののバッグを持ちたいということと本質的には同じですね。

わたしの勤める会社でも社員本人、または家族が亡くなると各営業所に訃報としてFAXが流れてきます。
それを見ると、最近では家族葬で済ませる方がほとんどで訃報には基本的な葬儀の内容に加えて「弔問、生花、香典は辞退させて頂く」旨が記載されています。
お気遣いを頂いたら当然お返しが必要なわけで、今の世の中そういった人付き合いをシンプルに済ませたいというのは誰もが思うところですよね。

こんなこと言ったらいけないのでしょうけど亡くなった人のために今まさに生きている人の生活が立ち行かなくなるなんてバカバカしいですもん。

「死なないで。いま死なれたら わたしも生きていけない(経済的に)」 なんてブラックジョークかよw

交際費に限らず省けるものは省くというのが節約の基本。それでみんなハッピーになれるのであればそれが正解。
義理を欠いては・・・という言葉があります。非常識過ぎるのはダメですが義理をカネに置き換えるという考え方もまた卑しい。義理=カネではなく義理=気持ちであるはず(よし、決まったw)。
義理チョコなんてのもありますが、昔ながらの不要な文化はどんどん廃止する合理的な考え方をわたしは支持します。



この記事のURL | 常識・非常識 | CM(6) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ