底辺層と関わらないことの大切さ
2018/05/10(Thu)
風薫る5月といいますが、やはり気持ちがいい気候ですね。
一年でいうと5月、10月あたりが一番気候がいい月かと思います。
気候がいいということは多くの人が外出をするということ。多くの人…それは良い人だけではなく、悪い人もたくさん街に出てくるということす。

わたしはショッピングセンター内に勤めているので、お客様のクレームに頻繁に対応するのですが、やはりこの5月、そして10月というのは頭がいっちゃってるクレーマーが非常に多いと感じます。

運営面や施設面に対してのクレームもあるにはありますが、なんといっても一番多いのは接客応対など人に対してのクレームです。
5月に入ってからも何件も対応していますが、そのクレームの内容というのは取るに足りないどうでもいいようなこと。

従業員Aさんと従業員Bさんがおしゃべりをしていて気分が悪い、とかそんな程度のことです。
この内容の苦情って多いんですが、従業員同士のおしゃべりってそんなに気になるか?自分も客として他の店に行くことはあるけど、そんなことどうでもよくねえ?

クレーマーというのは買い物に来てたまたま気分を害されたから文句を言うのではなく、文句を言うことを目的に店に来て、それから店のあら探しをします。すべてが完璧な店なんてありえないので、文句を言う材料が尽きることはありません。上げ足とりも大好きですしね。

そしてクレーマーの最終目的は責任者を引っ張りだすことなので、その目的を達成したらほとんどの場合、「頼みますよ!」と言って帰っていくんですけど、まあ面倒くさいですわ。ブログに嫌がらせコメントを寄せる輩にそっくりw

そして、そのようなクレーマーには共通点があります。
それは非リア充であるということ。
よく自虐的に自分自身のことを非リア充と言ったりしますが、クレーマーは本物の非リア充。
自分より立場の弱い人にしょうもないことで攻撃してストレスを解消しようとするこの人たち…人生の不幸感ハンパないですわ。
これぞ

THE 非リア充

この人たちが社会の底辺層であることは間違いないのですが、自分がそういう人たちと接点があるということ自体が情けないと感じる次第です。




この記事のURL | 仕事 | CM(8) | TB(0) | ▲ top
人は見た目じゃないというけれど
2017/12/14(Thu)
先日、仕事中に従業員から内線電話がありました。

従業員:「お客様が自動販売機に500円を入れて120円の缶コーヒーを買ったんですけど、お釣りが出てこないらしいから来てください」

わたし:「はい。今から行きます」
  

こんなことがあると、まずわたしの頭に浮かぶのが「もしかして返金詐欺かも」ということ。昔からこの手はよく使われているんですよね。
そんなことも視野に入れつつ自動販売機の前に急行。
そこで改めてお客様に不具合の内容を聞くのですが、それと同じくらい、いやそれ以上にお客様の身なりをはじめ、まともそうな人かどうかを観察します。

50歳くらいの男性でやや薄汚れた感じの風貌。
これはちょっと。。

その自動販売機は自販機管理会社の管理でお店には鍵がなく扉をあけることができません。なので明らかな故障でない限りはその場で返金はしません。今回も即返金できるような内容ではなかったので

わたし:「明日、管理会社の方から連絡をしますのでお名前と連絡先を教えていただけますか?今日はいったんお帰りください」

お客様:「いまカネを返してよ」


悪だくみをしている人は差額を詐取することが目的なので、その場で返金させようと大声で文句を言ったり「時間がないから早く!」と言って焦らせたりするのが常套手段。
もちろん返すわけもなく、お客様は名前と電話番号を告げて帰って行きました。

翌日、調べてみると自動販売機には異常なし。お客様に電話するも使われていない電話番号でした。

やっぱり・・・

結局、その人は120円の缶コーヒーを買って(缶コーヒーを買ったのは間違いなし)、顔を晒しただけのマイナスパフォーマンスに終わりました。
人は見た目じゃないといいますが、初めて会う人が真面目な人かそうでない人かを判断するのは見た目しかないということを悪人も理解し、大の大人がたとえ悪いことであれ実行する以上は結果として成功させてパフォーマンスを上げるべきだと感じました。



この記事のURL | 仕事 | CM(2) | TB(0) | ▲ top
ブラックな職場を垣間見る
2017/02/20(Mon)
先日、仕事中にわたしの携帯に電話がありました。その内容はわたしの勤務する建物内にある飲食店の従業員さんが倒れているとのこと。

すぐにそのお店に行くと20代男性の従業員が倒れてはいなかったものの、ふらふらになって仕事をしていました。日曜日のお昼前で店内は満員でオーダー待ちのお客様も大勢いる状況にもかかわらずなんと一人であれもこれもこなしているのです…と言ってもまったく追いついてませんが。

また衛生面での労働環境もひどい。ダクトがちゃんと機能しているのかというくらい湯気により作業場の熱気がすごい。わたしも駆けつけてすぐにふらっとくるほどでした。

応援のスタッフを手配しようにもその従業員さんが今にも倒れそうな状況。
「いったんお店を閉めるよ?」とわたしの問いかけに「なんとかやります。社員として格好がつかないですから…」と追い込まれた表情、さらに足元がおぼつかない状態での返答。

これはヤバイことになると感じたので、日曜日お昼真っ只中の繁忙時ではありましたが、わたしの判断でオーダーストップをかけました。
残ったお客様の対応が終わったらすぐにフルマラソンをゴールした人のように倒れこみました。
その後、彼はけいれんと過呼吸の症状があって立ち上がれなくなったので救急車を手配。お母さんも駆けつけて心配そうにしてみえました。

しかしこんな繁忙時にワンオペなわけがないと思って勤務シフトを見ると9時から22時まで一人勤務。しかも休憩なし。
さらに同じ勤務シフトがその日だけでなく、その後何日も組まれてました。

この会社どれだけブラックなんだよ

わたしも13時間程度なら日常的に仕事をしていますが休憩なしはダメだろって思います。

いまお偉い先生と言われる方が働き方改革とか言って議論をしているようですが、法律が変わってもこういう会社は事が大きくならないと働き方なんて変えようとしないんですよね。
一方で若い人の早期離職の問題もありますが、こんな会社がある以上その離職が結果的に正解だった人も多いんだろうなぁ と思った一幕でした。



この記事のURL | 仕事 | CM(8) | TB(0) | ▲ top
仕事の評価がすべてらしい
2017/01/23(Mon)
みなさん、多面評価制度というのをご存知でしょうか?
あるサイトではこんな説明がなされています。

多面評価とは上司、同僚、部下など立場や対象者との関係性が異なる複数の評価者によって対象者の人物像を多面的に浮き彫りにする評価方法。多面評価を活用することで、上司には観察しにくい対象者の特性把握が可能になり、人物評価の信頼性・妥当性を高めることが可能に。また複数の評価者の意見を総合することで、対象者にとっての納得感を高められる。


わたしの勤める会社でもこの多面評価制度を導入しています。説明文にある他者評価(同僚・部下)に加え自己評価もすることになっています。
そして先日、その多面評価の結果のフィードバックが上司からありました。
わたしの会社では複数の評価項目について5段階評価で点数をつけるというもの。

わたしの評価結果はというと
自己評価平均3.3点。
他者評価平均3.8点。

自己評価よりも他者評価の方が高いという結果に。。
仕事の評価についてはいろいろな見方があるので評価は分かれるのでしょうが、わたしとしてはこの結果は上々と思っています。しかし仮に他者評価が平均5点であったとしても特に意味がないと思っています。
なぜならこれは仕事の評価だから。

上記説明文には「人物評価」とありますがこの表現には異議があります。人物評価ではなくて仕事の評価であるはず。仕事第一主義の人の頭には 仕事の評価=人物評価 のようです。要するに仕事の出来がその人のすべて。
うわぁ、こういうの嫌い。そもそも人物を評価するって、あなた何様?大きなお世話!と思ってしまいます。

そうではなくてわたしが高めていかないといけないと考えていることは自分が重点を置く分野での自己評価です。
自分が主体的に何をしたいかを考えられなければ世間の常識である仕事第一主義に傾くことになり、他人の評価を気にして過ごすことになるでしょう。
やっぱり自分の大切にしたいものをしっかり見据えること。
仕事は3点でも2点でもいいのですが、わたしは早期リタイア取り組みの評価は5点であり続けたいと思っています。



この記事のURL | 仕事 | CM(8) | TB(0) | ▲ top
意味のないことはしない
2016/12/12(Mon)
先日、会社の人事部から昇進試験受験のご案内が届きました。
これは全員受験できるものではなく人事考課や年齢などいくつかの条件をクリアした者に案内がくるものです。
実はわたしは前の上司に「良い評価」をもらっていましたのでこんなことになったのです。

今の上司からそのことを知らされて「頑張って!」といわれましたが、わたしの返事はもちろん


「辞退させていただきます」


理由はリタイアが視野に入っているわたしに昇進なんて意味がないから。
仮に昇進したところで将来のわたしのしあわせに貢献しないからです。
あともうひとつ。
他人の期待に応えたいと思わないからです。
他人の期待に応えたいとは思わない、それはどういうことか。
この他人とは上司のことを指します。

わたしは4年ほど前、上司に「かぴばらMくんには出世してほしいから○○部署(出世コース)に行けるように手を尽くす」と言われました。
わたしは拒否していたのですが、再三にわたる打診により とうとう断りきれなくなりその部署に配置換えになりました。

で、どうなったか?
配置換え前まではそれなりに楽しく仕事をしていましたが、畑の違う部署になりストレスだらけで悶々として会社員生活を過ごすことに。。

その時わたしは思いました。
あの時上司が親心で推薦してくれその期待を裏切るのは申し訳ないと思い○○部署に行くと言ったけど、あれは「他人の期待」であったと。

そして今回もそう。
昨年上司だった人がわたしをかわいがってくれて本来の実力以上の評価をつけてくれたのです。
その上司も「オレはかぴばらMくんを所長にする会会長だから・・・」とか言ってくれていたのです。

今回わたしが辞退することで今まで期待してくれた上司を裏切ることになり少し申し訳ないと思うのですが、自分のやりたいようにしようという想いの方が圧倒的なわけでこれは仕方がありません。
人の情は大切にしたいのですが、今回は自分のしあわせに貢献するかどうかという基準で物事を考えることができ4年前より成長したと感じることができました。



この記事のURL | 仕事 | CM(8) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ