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気楽に稼げたらいい
2014/08/30(Sat)
夏の終わりのこの時期は我が社では人事異動の発表がある時期なのですが、自分と歳の近い社員が出世していく人事がでることがあります。
そういった人事が発表されると同僚または部下からは「次は○○さん(自分のこと)の番ですね」などと言われたりします。「自分は無理無理」と言ってその場は取り繕いますが、本心は「出世なんて興味なし」といったところです。
いま中間管理職についている自分が将来のある若い人に対してうしろ向きな発言をするのは良くないと思うので本心を口にすることはないのですが正直どうでもいい、と思ってます。

この問題は「役職」「収入」「仕事のストレス」をどのように位置づけるかがポイントです。さっきから言っているように自分は役職には興味がありません。収入は少ないより多い方が良いに決まってます。ただしそれは仕事のストレスの度合いが同じだったらという条件付きです。年収700万円の係長と900万円の課長ならどっちをとるのか?ストレス度70%の係長とストレス度100%の課長なら今の自分なら絶対に前者をとります。それどころかハイペースで資産を積み上げる必要がないいまの状況なら500万円のストレスフリーなヒラ社員で十分です。やはり重視すべきは投資効率ならぬパフォーマンスでしょう。

最近は年に1回実施の昇格試験を受けない社員もいます。そういう彼に対して試験を受けるように説得するのが良い上司のようですが自分はそこに違和感を感じます。みんながみんな上位職になりたい人ばかりではないはずです。組織の末端で実務を行い、その分野でより技術を上げたいと思う人もいるのです。

仕事は人生の一部です。あくまでも仕事は人生より小さな円であってそれより大きくなることはありません。人生=仕事のような100%仕事人間もいるでしょうが、リタイアブログの皆さんのように仕事が占める割り合いをゼロにしたいと思う人もいます。それは個々人の考え方であって他人がどうのこうのいうことではないと思います。

この時期は中間管理職としてふさわしくないそんなことを思っています。

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お葬式の最中のみ思うこと
2014/08/25(Mon)
先日会社関係のお葬式に出席してきました。
会社関係のお葬式に出席することはたまにあるのですが告別式の約1時間の間、複雑な気持ちになることがあります。

それは・・・
式の間、葬儀場の係りの人が故人の生前の立派な生き様をアナウンスします。だいたいが故人の美しい苦労話がでてきます。それを聞いて、一瞬「自分も立派に生きないとダメだな」「早期リタイアを目指すこんな生き方でいいのだろうか」と思います。
自分の葬式の時にはどのようにアナウンスされるのかと考えると「故人は早期リタイアを達成して自由に気ままに楽して生きました」とでもなるのでしょうか?
これでは参列者に涙ひとつ流してもらえませんね。

しかしそれはあくまでも式に出席している1時間限定での感情です。式が終わるとすぐに通常の自分の思考に戻ります。
どんな立派な学歴や社会的地位があっても、亡くなって数日間だけ「あの人は立派な人だった」と言われて後は忘れ去られるのです。自分が死んだ後の評判を気にして自分の望む生き方をしないというのは最もばかばかしいことですしね。

日本人の「苦労こそ美徳」という思考と、「必要のないものは排除する」という自分の超合理的な思考は永遠に相いれないようです。

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お盆に思う
2014/08/18(Mon)
今年のお盆も終わりましたね。
自分はお客さん相手の営業店に勤めているので、休みは平日が多めでお盆も年末年始も仕事をしている日が多いです。
先週のお盆も仕事をしていました。
お盆期間中は妻も実家に帰るので仕事が終わって帰宅後はひとりで気ままに過ごしています。お盆とお正月は独身生活がよみがえる感じです。
世間ではみんな集まってわいわい賑やかな感じですがこうやってひとりのお盆もいいものです。
嫁いで行った自分の姉妹もお盆に実家に集まるのではなく今週に地域のお祭りがあるので、そこでみんなが集まってごちそうを食べるというのが我が家の夏のパターンです。こうして我が家の夏が過ぎていきます。

そういえば、この間こんなやりとりがありました。たまたま実家にいた姉が「50歳になったら勤め先を辞めて、いまの仕事の延長のような仕事を自分でする」というようなことを言ってました(姉は専門職についており同年代の男性以上に収入があります)。どこまで本気かはわかりませんが、意外な発言だったので、すかさず「自分も50歳までには退職するよ」と言いました。すると「辞めてどうするの?」ときたので「晴耕雨読」とはぐらかしておきました(笑)

この間は本気か冗談かわからない立ち話でしたが、いずれ家族にカミングアウトする時期が来るのだとあらためて思いました。
年に2回身内が集まるこの場で早期リタイアを公表することになるのでしょうか?


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金持ち喧嘩せず
2014/08/06(Wed)
自分は長年の取り組みにより少しづつ目標である早期リタイアに近づいています。
いままで通りサラリーマン生活を続けていけばリタイア生活に必要な目標金額に確実に達します。
つまりあと数年無事に過ごすことができれば幸せは保証されているのです。
せっかく積み上げたものをここで崩してしまうわけにはいきません。

そのためにはやはり余計なリスクはとらないことが大事です。
具体的には車を運転しない、夜遅い時間にふらつかない、身近な人でも付き合い方を考えるなどです。
いまは通勤に必要なので車に乗っていますができれば乗りたくありません。それこそ危険ドラッグをやっている人が乗る車にぶつけられたら命の保証はないですから。そんな人間に人生を狂わされたら泣いても泣ききれません。ということで、自分はリタイアしたら車は手放します。
頻繁に夜の街にくり出すのもよくありません。わけのわからないヤンキーにからまれて刺されてしまうかもしれませんから。とにかくそういう人間との接点を持ってはいけないのです。同じ世界を生きてはいけません。

あまり考えすぎて人生を楽しめなくなると本末転倒かもしれませんが、可能性として認識しておくことは必要でしょう。

「金持ち喧嘩せず」といいますが、すでに幸せな側にいる人が、そうでない側にいる人を相手にしないという意味でリスク管理上当然のことでしょう(自分は金持ちにはほど遠いですけど)。


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昭和30年代の希望
2014/08/02(Sat)
この間、NHKのクローズアップ現代「男はつらいよ」をみました。
男性の幸福度が低いということについての考察なのですが、生きづらい男性の姿がそこにありました。
どうしてこうなってしまうのでしょうか?

番組ではいま現在の生きづらさに焦点をあてていましたが、それよりも将来に希望を持てないということが原因なのではないでしょうか?

昭和30年代の日本の人々は希望にみち溢れていたといいます。自分は昭和40年代の生まれなので実際のところはわかりませんが、そうだとしたらそれは「今日より明日の方が良い生活ができる」といった希望があったからだと思います。いまは多少辛くても将来は幸せになれるという希望があったからなのでしょう。

いまの人々は車もテレビもPCもスマホも揃っていますが一番大事な希望がないのだと思います。

自分は「ALWAYS3丁目の夕日」のような古き良き昭和をみるのが大好きです。なぜならそこからハングリー精神を学ぶことができるからです。自分は早期リタイアという希望があるのでハングリー精神を持って頑張ることができます。これだけでも幸運だと思うのであとは実現あるのみと思いいまを生きています。

※最近ブログのテンプレートを変更したのですが、イメージが懐かしい昭和の風景と重なったのでこれを選びました。

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