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ブログを始めて2年
2015/11/25(Wed)
今日でブログを始めてちょうど2年になります。
記事の内容はともかく2年続けられるなんて自分にしてはよくやっているなといった感じです。

2年前はどんなことを考えていたのか、と思い昔の記事を少し読み返してみたのですが今現在と基本的な考え方は変わっていません。

ではブログを始めて良かったことと悪かったことを考えてみます。

良かったこと・・・わたしはブログを始めるもっとずっと前から早期リタイアへの憧れはあったのですが、リタイア村の皆さんの記事を読み参考にすることで自分のリタイア像が具体化してきたことです。

悪かったこと・・・早期リタイア、この道しか見えなくなってしまったことです。
たぶん2年前は他の道も少しは見えていたような気が。

好きになったら一途なんですよねw


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消費に至るまでの審査基準
2015/11/23(Mon)
少し前にシャープの自爆営業のニュースがあり ました。
社員は自社製品を一定金額以上購入するように、といったやつです。
これはわたしが今勤める会社でも似たようなことがあります。

先日もボジョレー・ヌーヴォーが販売される前にそれがありました。
ボジョレーの1本の価格は2000円強。
社内での営業などもあってお付き合いで買う従業員も結構な数いたようです。
強制ではないにしても買うのが普通だよね、といった無言のプレッシャーにより断りきれない人なんかは仕方なく買った人もいると思います。

普段から節約に努めているわたしとしては2000円強という金額のものをお付き合いで買えるということが不思議です。
見返りを求めるわけではないですが、もしそこで買ったとしてもその一瞬だけその営業マンに感謝されるだけで、その後自分に何かメリットがあるわけではありません。
まぁ 言ってみれば「いいお客さん」になるだけの話。

ここはやはり情に流されるのではなく自分の審査基準をしっかりと持つことが必要です。

わたしの基準はこんな感じ。
①そのものが好き(必要)かどうか?
②自分にとってその価値が価格を上まわっているかどうか?
③早期リタイアの時期を遅らせてでも手に入れたいかどうか?

①は当たり前なのですが、わたしのシビアな基準で②を審査し、それをクリアしてもさらに③の審査が待っています。
わたしの感覚としては①で70%のものは振り落とされて②で20%③でほぼすべてのものが振り落とされるといった感じですかね。
①さえクリアできないワインの購入なんてもってのほかです。



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大事なことは自分の頭で考える
2015/11/21(Sat)
わたしの望む生き方の基準となるのはシンプルに「楽しく生活していけるかどうか」です。
これが持続可能なのであれば仕事(労働)などその他のことは重要視しません。
普通は仕事をして収入を得なければ楽しく生活するどころか生きていくことすら難しいので当然働くことになります。
本来ならこのように何らかの目的があって働くのだと思うのですが、いつの間にか働くことが当たり前となって労働自体が目的化してしまっているように感じます。

このことから常識人の望む生き方の基準は「働いてできれば楽しく生活する」 です。

この「働いて」は決してはずせないのです。 
仮に遊んで暮らせるくらいの金融資産があったとしてもです。
つまり常識人の考える望む生き方の基準に優先順位をつけると
①労働
②楽しく生活する
となります。

楽しく生活するために働く・・・ではなくなっています。本末転倒とはこのことを言うのでしょう。
労働をしなければ他のことがすべて思い通りになったとしても幸福にはなれないといった感覚。

ではなぜ労働がそんなに必要なのか?
それは刷り込まれた働くことの美徳と世間体を何より重視しているからなんだろうと思います。
だからこそ多くの人は60歳の定年まで働きます。どうして一律60歳かというとそれはその美徳とやらを意識した自己満足を得られるのと労働をしなくていいよと世間が認めてくれるのがその年齢だからなのでしょう。
そこには大きな大きな他人の価値観が居座っています。
思考停止になるのではなく大事なことは自分の頭で考えましょう。


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両親に早期リタイアの意思を伝えました
2015/11/15(Sun)
いままでわたしがリアルの世界で早期リタイアの願望を話しているのは妻と昔からの友人2名の計3名のみです。
そして昨日初めてわたしの両親にその意思を伝えました。

両親の反応は予想通り 「反対」

その理由をまとめるとこんな感じ
①経済的な心配がある
②世間体が悪い
③定年までは働くのが当たり前
④退職後の目的がない

理由まで予想通りです、まったく。
たしかに70歳代前半の人がこんなことを賛成するわけがありませんよね。

この①~④の理由に対して、わたしは持論を述べたものと述べなかったものがあります。
①~③に対しては短めに持論を述べました。

①の返答・・・90歳までの資産シミュレーションをしていて収支を悲観的に見積もっても問題はない ※資産額は伝えていない

②の返答・・・周囲の目は気にしない。周囲の目を気にすることで自分の望む生き方をしない方がよっぽど問題

③の返答・・・人に迷惑をかけず生活していけるのであれば早期に退職してもいいはず。これは人それぞれ生き方の問題

ただ④に対しては返答を避けて言葉を濁しておきました。
本来なら④の返答としては正直に「目的はのんびり自由に生活すること」と言えばいいのでしょう。
しかし両親の言う目的というのは正社員なり自営業なりできちんと働くことを前提とした「目的」を求めていることがよくわかったので、わたしは返答を避けました。
もし正直に返答していたならわたしに対して絶望していたかもしれませんね。なんせそんな世代ですから。
本音で話したいわたしではありますが、両親を絶望の淵に追いやることには気が引けて言うのを遠慮したということです。

ただリタイアの本質的な問題であるこの④に返答しないままではわたしの考え方は伝わらないし話が噛みあいません。
さぁここから先どうするか、といった状況です。
ここは真正面から本音でぶつかっていかなくてもいいかなとも考えています。適当にはぐらかして満足は無理でも両者納得という形にもっていきたいなと。

わたしは生計を一にする妻以外は多少の反対を押し切ってでも実行するのが基本と考えていますが、できればこのコンセンサスを得る作業はやっておきたいことなのです。
なぜなら自己紹介でも書きましたがわたしは同じ敷地内で2世帯住宅という形で両親と暮らしています(日常生活は別々)。
この理由からまったくもって聞く耳持たずというのは地方に住む者にとってはなかなか難しいことなのです。

世間の常識から大きくズレてしまっている考え方をあらためて実感した次第です。


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振舞いの良さはお金があるからこそ
2015/11/08(Sun)
わたしは自宅の近くにすき家があって株主優待券を持っているのでたまに行きます。
だいたい店に入る時間は夜10時くらいと決まっているので、そこで働いている従業員さんがどんな人たちか知っています。
ほとんどの従業員さんは20歳代の人です。
そして半年くらい前に新人男性がアルバイトで働き始めました。
年齢は60歳過ぎです。
若い人であればたくさんいるので気にもしないのですが、飲食店のホールで60歳過ぎの人はあまり見かけないので牛丼を食べながらその人の動きをチェックしていました。

当初は若い女性に仕事を教えてもらっていたのですが、やはりぎこちない感じで「この人続くかなぁ」と心配していました。

それから半年ほどたった今、その男性はまだそのお店で働いています。
当たり前といえばそうなのですが仕事を手際よくこなしていて、この間なんかは わたしのお茶が少なくなっていたのを気づいて「お茶お入れします」と言ってもらいました。だいぶ余裕が出てきた感じですね。
長く働いていても気づかない人は気づかないのですがその男性には感じ良くタイムリーに対応してもらいました。

わたしは60歳代以上の男性は謙虚でない人が多いと感じるので良い印象を持っていませんが、この男性の頑張っている姿を見て応援したくなりました。

60歳を過ぎて慣れない新たな職場でアルバイトというと経済的に困っているのかな、と思いがちですが 謙虚な気持ちで働くこの男性を見て働く理由はお金に困っているのではなく、それ以外の理由だと勝手に判断しました。
こうありたいものです。



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時代は良い方向に向かっている
2015/11/03(Tue)
わたしの住む地域では社会人ともなると車を所有するのが一般的です。
そして車は10年ごとくらいに買い替えていくのですが、昔は車のグレードアップは成功者の象徴だったりしました。

10年以上も前のことですが、わたしと友人が車についてこんな話をしていたのを覚えています。
当時わたしが所有していた車は300万円ほどの4WD車。友人が所有していたのは150万円くらいのコンパクトカーです。

わたし: 「次買う車はもっとコンパクトで維持費が安い車にしようと思って
いるよ」

友人:  「それだと今の車より(車格が)下になってしまうんじゃないの?」

わたし: 「価格で言うなら間違いなく下になると思うよ」

友人:  「えー、下がってしまうんかよ。車は年齢とともにどんどん上げていくものだと思ってるけどな。いまオレは小さい車に乗っているけど将来はもっと上の車を乗るつもり」

わたし: 「えっ・・・」


たしかに昔は年齢や社会的な地位とともに車も出世していくものというような風潮があったと思います。
「いつかはクラウン」というCMのキャッチコピーもあったしね。
そのように車も出世していくことが成功者の証といったところでした。

車の購入に限りませんが、周りのしょうもない常識に従うのではなく自分が考える消費行動をすることが大事です。
しかしそんな時代があったことを考えると、今は画一的な価値観から抜け出し、いろんな考え方が受け入れられる成熟したいい時代になったとつくづく思います。


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自分のケツは自分で拭う
2015/11/02(Mon)
人は誰しも生きていくうえで経済的なことから逃げることはできません。
これは若い人も老いた人も同じです。

人はなんらかの理由で収入がないと生活ができなくなります。
ではその人は誰にも頼らずそのまま死んでしまうのか?
そうではありませんよね。
そう、誰かに支えてもらうことになります。

思い当たるところでは 
①病気などで働けない人 
②年金保険料を納めてこなかった高齢者 
③専業主婦(夫)
などが当てはまります。

ではこの人たちはだれに支えてもらうのか?

①のケースだと主に家族が支えることになるでしょう。

②はどうでしょうか?
家族がいれば支えてくれるかもしれませんが、場合によっては生活保護という国(自治体)に支えられるかもしれません。

①②はネガティブな状況ですが、そうではないのに支えてもらっているケースがあります。
③の専業主婦です。不幸な状況にないにもかかわらず別人格(他人)である夫に支えてもらっている恵まれた立場といえるでしょう。

つまり、①②③すべて夫、妻、親、兄弟、子供といった家族、もしくは国に頼ることになります。
家族といっても夫、妻、親、兄弟、子供は自分ではない別人格、言ってみれば他人です。
まして国となれば税金を納めているのは国民であり、まったくの他人にお世話になっていることになります。
わたしとしてはこれは避けたいことです。

わたしは自発的に就労をしなくなりますが他人のお世話にはなりたくないと考えています。
では誰のお世話になるのか?
それは過去の自分です。
過去の自分が作った資産が自分を支えます。
これは自分が自分のお世話をすることであり他人に依存しません。
わたしは根底にそれがあるからこそ誰にも遠慮せずに楽しくリタイア生活ができると考えています。


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